「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」(若山牧水)の気持ちが少しわかった気がした

教科書か問題集か忘れてしまったが、この若山牧水の短歌がけっこう登場するので自然におぼえてしまった。

 

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 

そんなに難解な語句はないので、意味はとりやすい。

 

いくつの山や川を越えていけば、寂しさが果てる国にたどり着けるだろうか・・・。

今日も(そう思いながら)旅に出ていく・・・。

 

こんな感じの意味でまちがいはないだろう。

 

強いていえば「寂しさが果てる」というところを「寂しさがなくなる」としたほうがわかりやすいかな。

 

作者の若山牧水は旅と酒を愛した歌人ということで有名だ。

 

正直、若山牧水がどういう気持ちでこの歌を詠んだかはわからない。一説によるとこの頃、叶わぬ恋をしていたという話もある。

 

が、どういう状況だったにせよ、牧水の心の中に寂しさが棲みついていたことはまちがいないだろう。

 

山を行き、川を渡り、いくら前に進んでも寂しさはつのるばかり。

 

どれくらい前に進んだら寂しさがなくなるというのだろうか。寂しさが消えてしまう国にたどり着くだろうか・・・。

 

ずっと消えない寂しさを抱え、牧水は旅を続けるのであった。

 

とてもつらかったんだろうなぁ・・・。

 

さて、私はこの短歌を読んだときに確信した。

 

人間の心の根源には寂しさがある

 

と。

 

人が人を求めるのは寂しさゆえのことだ。人が孤独を恐れるのも寂しいのがいやだからだ。

 

世の中には孤独を愛する人がいるかもしれない。一人のほうが気楽な人がいるかもしれない。しかしそういう人は少数派で、ほとんどの人が寂しさを心に抱えるのはいやだと思う。

 

だから人は人といたがる。一緒にいることができなくても、何かでつながっていたがる。

 

それはサークルやグループかもしれない。物理的に一緒にいなくてもSNSでつながっていることもできる。

 

そうやって寂しさを回避している人は多いはずだ。

 

ただ、私は、どうやっても寂しさを回避できないでいる。誰かと会っていても、誰かとツイッターで関わっていても、私は結局独りだから。

 

よく人生は旅に喩えられるけれど、この人生という旅において、寂しさがなくなる地点があるのだろうか。

 

いや、けっして寂しい気持ちが消えることはないだろう。

 

それでも人生という旅は続いていく。

 

人生という旅は結局、死ぬまでつらいものなのかもしれない・・・。

 

 

【付記】さみしさについて述べたブログが他にもあるので覗いてみてください。

参考記事:「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ:人の心の根源はさみしさである

 

若山牧水歌集 (岩波文庫)

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  • 発売日: 2004/12/16
  • メディア: 文庫