みっちー日記(Enjoy編)

人生を楽しんでいる私に日記

ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」:父と話をするといつも思い出してしまう詩だ

昨日、久しぶりに父と話をして・・・

 

まあ、親としても、息子がコロナにかかっていないか心配なようで・・・

 

ちょっとさみしい部分もあるのかな、息子と半年以上もあってないので・・・。

 

そんなわけで、少々電話で話した。

 

でも、投げかけてくることばは辛辣だった。

 

「おまえを、大学なんか行かせなかったほうがよかった・・・」

 

「いまだに結婚してないなんて、どうなってるんだよ・・・」

 

「できそこないの息子だねぇ・・・」

 

出てくることばが次々心に突き刺さる。どうしてそんな過去のことでいまだに責められなければいけないんだろう。

 

ただ、ひどいと言えばひどいが、実際しょうがないという気持ちもある。

 

私は、せっかく大学に進学したというのに、全然それを活かした仕事をしていない。

 

実は大学院まで行ったのに、そこで学んだことを全く活かせていないわけだ。

 

はっきり言って、金の無駄だった。

 

何百万も大学に学費を払って、このありさまだ。

 

父が嘆くのはしかたがない。私はどうしようもない息子なのだ。

 

そんな私が、故郷を思うときに、必ず思い出すのがこの詩だ。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても

帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや

 

これは室生犀星の「小景異情」という詩の「その二」。

 

聞いたことがある人も多いだろう。

 

「小景異情」は6編もある詩で、そのうちの2番目だけ、特に有名だ。なぜだかはわからないけど。

 

この詩はなぜか心に残る詩だ。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

 

特に、この2行が非常に秀逸だ。

 

そんなにかっこいい言葉が使われいるわけではない。難解なことばが使われているわけではない。

 

強いて言えば、文語調のリズムが心地よい。

 

いずれにしても、理屈抜きにこの2行は心に残ってしまう。

 

「ふるさとは、遠くにあって思うものだ」

 

「そして悲しく、詠うものなのだ」

 

ただ、こうやって意味を考えてみると「なんで?」って思ってしまう。

 

ふるさとが遠いところにある、ということはわかる。田舎から都会にやってきている人だって多いだろう。

 

お盆やお正月の帰省だって故郷が遠くにあるからみんながするわけだ。

 

私も静岡というそれほど都会ではない街から関東にやってきた。近いようでけっこう遠い。

 

だから、故郷が遠いというのは別に何も不思議なことはない。

 

だが、しかし、なんで悲しく詠うものなのか?

 

詩はこのように続く

よしや

うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても

帰るところにあるまじや

 

簡単にいうと、「たとえそこで乞食になったとしても、ふるさとは帰る場所ではない」ということ。

 

これ、なんとなくわかる・・・。

 

私が大学に行った目的は、国語の先生になるためだった。

 

しっかり勉強して、教職を取って、採用試験に受かって、国語の先生になろうと思っていた。

 

ところが、いざ大学に入学したら、だらけてしまって単位は赤点ギリギリ。

 

それもそのはず。大学の授業にはロクに出席していなかった。今思うと親に顔向けできない。

 

そんな私なのだが、大学生活後半は文学に目覚めて、大学院を目指すことにしてしまった。

(今思うと完全に狂っていた)

 

大学4年生の頃、大学院の勉強で自分を追い込むために就職活動をやめてしまい、受験勉強をしていた。こんな勉強したのは初めてだというくらいがんばった。

(少々自分に酔っていたところがあるだろう)

 

見事合格して、私は将来大学で研究をしていくんだと決心した。

 

その頃の私は、教授になるまでは故郷に帰らない、そんな気持ちだったと思う。

 

ところが数年経って、私の将来の設計が意図も簡単に崩れてしまった。私はどういうわけか塾の先生になってしまったのだ。

 

最初はアルバイトで勤めていたのだが、生徒指導にハマってしまいいつの間にか正社員になった。

 

まあ、それも15年ほどでやめた。まあ、けっこう長く勤めたんだけどね。

 

結局、私は自分のなりたいものを極めることができず、途中で挫折する人生だったのだ。

 

ほんと、我ながら落ちぶれた。

 

いまの私には何の方向性もない。どうなろうかという将来のビジョンもない。ただただ生きているだけのおじさんである。

 

あ~あって感じだ。

 

まあ、今更言ってもしかたがないことだ。

 

ただ、少なくとも、大学院にいた頃の私にとって故郷は

うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても

帰るところにあるまじや

であった。

 

成功するまでは故郷に帰らない!!!

 

それがあの頃の私だったのだ。

 

いつもいつも、親と話をするたびに、あの頃の無謀ながんばりを思い出してしまう。

 

やれるかやれないか、将来の自分が見えない不安の中、涙を流しながらがんばっていたあの頃。

 

あの頃の私にとっては、故郷は悲しく詠うものだったのかもしれない。

 

だから、この詩をいつも思い出してしまうのだ。

 

 

室生犀星詩集 (新潮文庫)

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