みっちー日記(Enjoy編)

人生を楽しんでいる私に日記

「あどけない話」は高村光太郎の愛情たっぷりの詩です

空って不思議!

 

青空を見ていると心が温かくなり、曇り空を見るとちょっと憂鬱になったりする。

 

雲ひとつない真っ青な空を眺めるのも気持ちいいし、流れる雲を眺めたりするのもまたおもしろい。

 

やっぱり空って不思議だ。

 

それに、いろんな歌に空が登場するし、詩を読んでいると空の詩もまたおおいなぁと思う。

 

それくらい空はみんなにとって特別なものなのかもね!

 

 

私の好きな詩集「智恵子抄

 

ところで、私には、空を詠む詩の中で、この詩は外せないというのがある。

 

それは高村光太郎の詩集「智恵子抄の中にある「あどけない話」だ。

 

高村光太郎といえば明治から昭和に活躍した詩人で「道程」という詩が有名だ。

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道はできる

というフレーズを聞いたことがあるかもしれない。

 

この詩はとても力強い詩で、とても強い決意表明のように感じる。

 

だから私は、高村光太郎という詩人は、力強い詩ばかりなのだと勝手に勘違いしていた。

 

大学に進学し、いろんな詩を読むようになり、私は「智恵子抄」と出会った。大学生といえばまさに青春を謳歌しているころだ。

 

友だちを欲したり、恋愛に飢えたり、無茶したり、そんなときに愛情たっぷりの詩集「智恵子抄」と出会ったのである。かなり感化された。

 

智恵子抄」と出会ったときは、これが道程と同じ作者とは全く思わなかったほどだ。

 

ところで「智恵子抄」はその名の通り、とことん智恵子について書かれている。もう言うまでもないと思うが、智恵子とは光太郎の妻である。

 

その智恵子のことについて書いた詩をまとめたものが「智恵子抄」なのだ。

 

 

「あどけない話」という詩

 

智恵子抄」のなかに「あどけない話」という詩がある。 

 

難しい語句はなく、意味もとりやすい。それはこんな詩だ。

 

智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。 

 

 

この詩の冒頭は、まず

智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

で始まる。

 

 

智恵子にとって、東京の空はほんとの空ではなく、別にほんとの空があるってことのようだ。

 

それで光太郎は

私は驚いて空を見る。

のだった。

 

それは驚くよね、突然こんなことを言われたら。

で、自分も空を見るわけだ。

 

そうすると

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

つまり、光太郎にとっては、東京の空は、きれいな空だったのだ。

 

だが智恵子はこう言う。 

阿多多羅山の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

阿多多羅山は、智恵子の故郷の福島にある山のこと。

 

智恵子にとっては、東京の空はほんとの空ではなくて、故郷の福島の空がほんとの空なのだ。

 

そして、最後に

 

あどけない空の話である。 

と結ぶ。

 

想像するに、智恵子は本当に無邪気そうに、この話をしたんだろうなぁ。

 

光太郎にとって、無邪気で天使のような笑顔で話す智恵子が、とても愛おしかったにちがいない。

 

そんな2人の姿を想像すると、とても心が温かくなる。

 

空を美化するでもなく、哲学的に解釈するのでもない。ただ単純に、故郷の空が「ほんとの空だ」と言う智恵子の姿を描いたところが、印象的だ。

 

私がこの詩を好きなのは、それが「あどけない話」として語られているところだろう。

 

子どもの無邪気さが理屈抜きでかわいいように、智恵子の無邪気さも理屈抜きでかわいく思った光太郎を想像できる。

 

「あどけない話」は光太郎の愛情がたっぷりとにじみ出ているのだった。

 

私はこの詩が大好きだ。

 

智恵子抄 (新潮文庫)

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