日本最古の和歌集「万葉集」には恋の歌がたくさんある。
好きな和歌はたくさんあるが、この歌はなかなかよい。
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
(きみがゆく うみへのやどに きりたたば あがたちなげく いきとしりませ)
初めて知ったのは、大学の授業だった。先生が、新聞紙を広げて、広告欄にこの和歌が載っているというのだ。
そのとき先生がこの和歌を説明したがわけだが、あのときの先生の「どうだ~」という表情はいまもおぼえている。
そんなわけで、今回はこの歌について述べていきたい。よろしくお願いします。
作品について
万葉集巻15に所収された和歌
我が国最古の和歌集である「万葉集」。全20巻で約4500首もの和歌がある。
今回とりあげる「君が行く・・・」の和歌は巻15に収められている。
巻15といえば、前半は遣新羅使たちの和歌が中心だ。
遣新羅使というのは聞き慣れないと思うが、遣唐使とか遣隋使の新羅バージョンと思ってよい。
歴史ではならわないが、奈良時代には唐だけではなく、新羅(朝鮮半島にある国)にも使いを送っていた。
この頃の船旅を予想するに、現代みたいにしっかりとした船ではなく、航海図も正確ではなかったにちがいない。
ましてや外国に行くわけだから、船旅自体が命がけである。
遣新羅使に任命されたら、ある程度覚悟が必要だし、家族は心配したにちがいない。
そして「君が行く・・・」はその遣新羅使の妻が詠んだ歌なのである。
和歌の解釈
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
○ 君が行く海辺の宿に・・・あなたが行く海辺の宿に
○霧立たば・・・霧がたったならば
○吾が立ち嘆く息・・・私があなたのことを思って嘆いている息
○知りませ・・・知っていてください
全体の意味・・・あなたが行く海辺の宿にもし霧が立ったとしたら、それは、あなたのことを思い嘆いている際の、ため息(吐息)だと思ってください
霧をため息にたとえているところがすばらしい。
この和歌の感想
この和歌を先生に教えてもらって何十年も経った。
たぶん二十歳くらいに授業で習った和歌だったから。
しかし、いまだにこの和歌を忘れられないでいる。それほど私にとっては記憶に残っているのだ。
どこがかというと、やっぱり、「海辺の霧を自分の吐息だと思ってください」というところだろう。
こんなことはなかなか言えない。
遣新羅使の妻はおそらく奈良にいて、旅先にいる夫に、「自分の心配はそこまで届くほどなんだよ」という気持ちを含んでいるにちがいない。
一言で言えば「あなたが恋しい」ということだろうが、それをこのような比喩を使って表現するあたりがすばらしいとしか言えない。
だから、私はこの和歌が好きなのである。
最後に
中学校や高校で、万葉集を習うと「素朴」とか「壮大」とか、そういうふうに教えられる。
しかし、万葉集にはこんなにすばらしい比喩を使う歌がたくさんある。
そして、人が人に恋をするという行為は今も昔も変わらないなぁということも、万葉集を読んでいるとわかる。
こんなにすばらしい和歌が、もっとみんなに広まってほしいなぁと願っている。