私は2011年に、当時働いていた会社をやめました。
それまで私は学習塾に勤めていました。
入社当時は「文学のおもしろさを子どもたちに伝えるんだ!」と意気込んでいましたが、だんだん現実の厳しさを知ることになります。
先生といっても、教えることだけが仕事ではありません。生徒募集の営業活動もありました。いや、むしろ営業活動こそ第一の仕事です。
ただ、時代は少子高齢化。簡単に生徒など集まるわけもありません。
自作でチラシをつくって団地にポスティングしたり、学校の門の前でビラ配りをしたり、またはそのチラシを新聞屋さんに持っていって折込チラシにしてもらったこともありました。
どんな企業も営業は大変だと思いますが、学習塾もとても大変なのです。
業績会議も厳しいものでした。
週に一回、責任者の会議があり、業績不振のものはさらに営業会議がありました。
業績会議は朝8時から。ふつうの会社だったらそれほど早くないかもしれませんが、塾の場合は夜の12時頃まで仕事をしています。
朝の8時に本社に着くためには1時間半くらい前に家を出なければならないので、朝の6時半頃に家を出ます。
前の晩は、仕事が終わってから会議資料をつくるので、あまり眠れません。
会議が始まると、一人ずつ業績不振の原因と対策を発表します。原因の分析が甘かったり、対策が具体的でないと即座にツッコミがはいります。とにかく厳しいものでした。
はっきり言っていじめでした。
私は、そんなに業績がよくなくて、けっこう本社に呼び出されました。勉強を教えたくて学習塾に入社したのに、やってることは営業ばかり。
もううんざりでした。
それでも教えることが好きだったし、生徒も好きだったので、やめ時を失い、何年も働き続けていました。
ただ、だんだん社長の風当たりが強くなり、私に対しての言葉の暴力も激しくなってきたのです。
たぶん、社長は私のことが気に入らなかったにちがいありません。あきらかに私を見る目がちがいました。
ともかくも、私が最初に会社をやめようと思ったのは、社長面談をしていたときのことです。
通常、社長面談はだいたい10~30分くらいでした。ところが私はちょっと社長の逆鱗に触れてしまうことをしたため、2時間近く社長から叱責を受ける羽目になりました。
その面談中、何度も
おまえなんて、地獄に落ちろ
と言われました。
はっきり言って面談中は怖くて震え上がっていました。いま思えば、このときにやめちゃえばよかったんですけどね。
その後も、ひどい仕打ちが何度かありましたが、とりあえず続けていました。
何があったかは、また別の機会に書きたいと思います。
だんだん会社に嫌気がさしてきて、結局やめようと思っていたのですが、最後の決定打が、2011年の新年会のときでした。
当時、私は社長の部下とつきあっていました。
最初は隠していたのですが、社長はしつこく彼女に誰とつきあっているのか聞いたそうです。はっきり言ってセクハラです。
そして彼女は、私とつきあうことを社長から猛反対されたそうです。
今思えば、そんなことにまで介入する社長の心の狭さは以上だなぁと思います。
そんなことがあっての新年会、いやな予感はしていたのですが、やっぱり予感があたりました。
新年会中に、私がいるブロックのみんなで、社長にお酌をしにいったときのことです。社長はひとりひとり罵声を浴びせてきました。
オマエら最低だなぁ・・・
T、オマエはデブになったなぁ・・・
H、オマエの奥さんデブだなぁ・・・
S、オマエはまだフラれたこと気にしてるのか?
アルファベットは名字をイニシャルであらわしたものです。ちなみにTは女性社員。女性にこんなこと言ってしまうあたり、社長の性格がわかりますね。
本来は、社長からご指導いただくところなのですが、もうこれは指導ではありません。ただの悪口です。
みんな新年会でひどいことを言われていました。
そして次は私の番です。
オマエ、つきあってるんだってなぁ
おれは絶対許さんぞ
だいたい、オマエのどこがいいんだよ
オマエなんかどこもいいところないじゃないか
おい、言ってみろよ、オマエのいいところ
顔か?
体か?
セックスか?
オマエにいいところなどないだろ
オレは絶対に認めないからな
これは実際に社長に言われたことです。当時、mixiに日記を残しておいたので、誇張ではありません。
本当にひどい社長だった。
まったく人間とは思えない、このことば。
こんな人が、ふだんみんなの前で「私の幸せは従業員の幸せです」なんて言ってるんだから、偽善者もいいところです。
ということで、もしこの会社でずっと働いていたら、一生幸せになれないにちがいありません。
もっと早くにやめればよかったなぁと思います。
あれから10年たったいまでも数ヶ月に一度は社長が夢に出てきます。
けっこうトラウマだったようです。
もう二度とあんな思いはしたくないなぁ・・・