あるとき、若山牧水のある短歌を知った。
短歌もよいが、名前もよい。
牧水(ぼくすい)とその名を口に出してみると、その響きがなんとなく心地よい。
それでますます気に入った。
今回はその短歌について書いてみようと思う。
「白鳥は哀しからずや・・・」について
その牧水の短歌はこちら。
白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
二句切れの短歌である。
「哀しからずや」で「悲しくないのだろうか・・・」という心情を吐露している。
情景としては、海辺で白い鳥(カモメと思われる)を見ているところだ。
遠くの空を飛ぶ白いカモメ。
その背景に青い空。
下にはあおい海が横たわっている。
空の青と、海の青を区別するためか、海の色は「あを」と表記されている。
おおよその意味はこんな感じ。
カモメは悲しくないのかなぁ(いや、悲しいはずだ)
(カモメは白いから)「空の青」にも「海のあを」にも染まれない
そうして漂っている・・・
カモメや「空の青」「海のあを」は、なにかの比喩だろう。
目の前の風景に作者の境遇を重ねあわせているはず。
ちょっと調べてみたところ、どうやら自分や恋人をこの短歌に投影させているとのことだ。
この短歌を読んで思ったこと
この短歌を読んで、私は「白鳥」を自分に重ねてしまった。
「空の青」にも「海のあを」にも染まらないで漂っている「白鳥」を、孤独な私だと感じたのだ。
私は集団の中に入るのが苦手で、孤独を感じることがよくある。
少人数でいいから信頼できる人と一緒にいたい
それが私の本音である。
本当は誰かといたいし、楽しいことを共有したいのに
なかなかそれができない。
どうしてなのだろうか・・・。
それは、おろらく過去の自分に関係している。
かつて、私は人の顔色ばかりうかがっていた。
人の評価が気になってしまうからかもしれない。
あるいは、上司や先輩から怒られたくなかったのかもしれない。
プライベートでも、信頼していた恋人にフラれたこともあった。
当然、結婚するんだろうと思っていた。
でも、突然別れを告げられたのだった。なにか言ってくれれば改善できたのに。
本当に突然だった。
喧嘩をしたことは皆無だった。文句も言われなかった。
だから私は裏切られたように感じた。
そういった過去の出来事が私を人間不信に陥らせたのだろう。
それで、人といるよりも一人でいることを無意識に選択したのかもしれない。
そして結局、この歳になって独りになってしまった。
だが、今、とてもさみしさを感じている。
だから、私はあの「白鳥」を自分に重ねてしまうのだろう。
空に染まっていきたい。
海に染まりたい。
でも、どこにも染まりに行けなくて、ちょっとつらい。
最後に・・・
かつて私は孤独でいつづけようと思っていた。
だが、弱い心の私には、孤独など無理な話だ。
それよりも、もっと人と交わったほうがいいに決まっている。
孤独な「白鳥」として漂うのではなく、これからは飛び込んでいきたい。
新しい出会いがあるだろう。
新しい経験もするだろう。
私は白鳥のように孤独に漂うのではなく、空に海に染まっていこうと思う。