みっちー日記(Enjoy編)

楽しい人生の記録

虹の足(吉野弘) 〜幸せとは何なのかを考えさせられる〜

若い頃、よく、幸せについて考えていた。

 

幸せになりたい。

どうやったら幸せになれるのかなぁ。

そもそも幸せってなんだっけ?

 

答えがあるようなないような、

そんな課題を常に私は抱えていたのだった。

もちろん今でも答えは出ていない。

 

 

★★★

 

さて、幸せといえば吉野弘の「虹の足」という詩を思い出す。

 

虹の足

 

雨があがって

雲間から

乾麺みたいに真直な

陽射しがたくさん地上に刺さり

行手に榛名山が見えたころ

山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。

眼下にひろがる田圃の上に

虹がそっと足を下ろしたのを!

野面にすらりと足を置いて

虹のアーチが軽やかに

すっくと空に立ったのを!

その虹の足の底に

小さな村といくつかの家が

すっぽり抱かれて染められていたのだ。

それなのに

家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。

ーーーおーい、君の家が虹の中にあるぞォ

乗客たちは頬を火照らせ

野面に立った虹の足に見とれた。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて

村の人々には見えないのだ。

そんなこともあるのだろう

他人には見えて

自分には見えない幸福の中で

格別驚きもせず

幸福に生きていることがーーー。

 

 

★★★

 

やや長めの詩だが、内容は難しくない。

直喩・隠喩・擬人法などの比喩を駆使したわかりやすい内容だ。

本当に、目の前の景色をうまく描いている。

 

とくに解説の必要もないと思うが、念のため内容をみておこう。

 

タイトルは「虹の足」

虹について描かれた詩である。

 

雨があがって

雲間から

乾麺みたいに真直な

陽射しがたくさん地上に刺さり

 

雨上がりの空を見ていたら

雲の間から陽が刺していた。

その光がまっすぐ地面まで降りている。

 

「乾麺みたいに真直な」という直喩は新鮮

 

行手に榛名山が見えたころ

山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を

 

榛名山が見えたころ、詩人はバスの中から虹を見た。

倒置法を使って、「見たのだ」が強調されている。

 

眼下にひろがる田圃の上に

虹がそっと足を下ろしていたのを!

野面にすらりと足を置いて

虹のアーチが軽やかに

すっくと空に立ったのを!

 

バスから見える風景は、野や田圃

そこに虹が見えた。

しかも、虹が大きく野にかかっている。

 

詩人はそれを「虹がそっと足を下ろしていた」と表現し、

「虹のアーチ」が「すっくと空に立った」とも表現している

擬人法を用いた、とても巧みな表現だ

 

 

その虹の足の底に

小さな村といくつかの家が

すっぽりと抱かれて染められていたのだ。

 

虹のふもとに小さな村といくつかの家が見えた。

 

それなのに

家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない

 

こんなにきれいな虹が村にかかっているというのに

誰もそれを見ようとしたり触ろうとする人がいない。

 

おーい、君の家が虹の中にあるぞォ

乗客たちは顔を火照らせ

野面に立った虹の足に見とれた。

 

きれいな虹を見て興奮している乗客たちは、

おもわず叫んでしまった。

「おーい、君の家が虹の中にあるぞォ」と。

 

多分、あれはバスの中の僕らには見えて

村の人々には見えないのだ。

 

人々が虹を見ようとしたりさわろうとしたりしないのは村の人々には見えないから、と詩人は思った。

 

さて、ここまではバスの中から見えた虹の説明である。

そして、このあとは詩人が最も言いたかったことである。

 

そんなこともあるのだろう

他人には見えて

自分には見えない幸福の中で

格別驚きもせず

幸福に生きていることがーーー。

 

他人には見えて、自分には見えない幸福。

そんな幸福の中で、とくに驚きもせずに生きている。

そんなこともあるのだろう。

 

他人には見えた虹。

村の人々には見えない虹。

その虹を幸福に重ね合わせた詩である。

とても巧妙な詩だと言わざるを得ない。

 

 

★★★

 

ところで、私は幸せなのだろうか。

本当は幸せなのに、自分ではわかっていないのだろうか。

この詩を読むとそういうことを考えさせられる。

 

ふつうの生活ができて、毎日しっかりご飯を食べている。

睡眠時間もそれなりに取れて、健康だ。

仕事もあるし、仲間もいる。

 

お金はそんなに持ってないので贅沢はできない。

だが、ちょっと不自由なくらいで、我慢はできる。

こうやって生活できることはとてもありがたいことだ。

 

世の中にはいろんな事情を抱えていて、不自由な思いをしている人が多いだろう。

そんな人たちから見ると、私は幸せかもしれない。

 

私自身、いまの生活をしていて、「幸せだなぁ」とは全く思わない。

独身で彼女もいない。

お金がないから贅沢もできない。

友だちも多くはないから、たいてい遊ぶときは1人だ。

そんな私のどこが幸せだといえるだろうか。

 

でも、人によっては私のような人間が幸せに見える人もいるかもしれない。

それが「他人には見えて自分には見えない幸福」ってことなのだろう。

 

吉野弘ってうまいこというなぁと思う。

 

★★★

 

幸せってなんだろう。

ずっと考えている。

 

でも、結局幸せかどうかなんて、考え方の問題だ。

自分が幸せだと思えば幸せだし、不幸だと思えば不幸。

そう思う。

 

まずは、「自分は幸せだ」と思うことから始めてみるしかないかな。