私は家族がそれほど好きではなかった。
もとより、幼い頃から家庭的なものを味わってなかったような気がする。
父が家にいた記憶はそれほどない。
母は、夜中に帰ってくることが多かった。
家には、たいてい妹と私の2人だけになることが多かった。
家族でおでかけした機会などほとんどない。
ましてや家族旅行など記憶にない。
そういう状態が当たり前の子どもだった。
だから、親に愛情など、わくはずもなかったのだ。
戯れに母を背負いて
さて、石川啄木にこういう短歌がある。
戯れに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
三歩歩まず
教科書にも載るくらい有名な短歌だから知っている人も多いだろう。
内容は、
なんとなくふざけて母親を背負ってみたら
あまりの軽さに母の老いを感じ、涙が出てきて
三歩もあるくことができなかった
という感じだろう。
母の老いを実感した作者が、痛烈に悲しみを感じたことが伝わってくる。
でも、初めてこの短歌に接したときの私は、おそらく「ふーん」って感じだったろう。
親の大切さは頭でわかっていたが、心ではわかっていなかった。
だが、最近の老いた母を見ていて、この歌の感じ方も随分変わってきた。
母に対する思い
すっかりおじさんになってしまった私だが、ありがたいことに両親は健在だ。
だが、実家に帰るのも年に2回ほど。
そのせいか、たまに帰ると、喜ばれるような存在になった。
ただし、話す内容はいつも変わらない。
孫の顔が見たいとか、結婚しろとか、そんなこと言われたり、
お葬式やお墓の話などもチラホラ出てくる。
子どもの頃は、親の死など頭の中にまったくなかったのだが、今では否が応でも意識してしまう。
そんなこと考えるとちょっと悲しい。
母はもう90近くのおばあちゃん。
子どもの頃はかなり怒られたのだが、今は怒られることがない。
数年前に脳梗塞を患い、その後遺症からか認知症になってしまった。
昔の母の面影はもうかけらも見当たらない。
今の母は、施設で寝たきりのおばあちゃんだ。
そんな母を見ていると、先ほどの石川啄木の短歌の気持ちがわかるような気がしてくる。
もちろん実際母を背負ったわけではない。だけど、変わり果てた母の姿がそう思わせるのだ。
母は認知症はもうかなり進んでいる。
もう私の名前も忘れるくらいに・・・。
私の知っている母ではなくなってく母。
だが、もうなすすべがない。
むかしはぼんやりと、100歳までは生きてほしいなぁと思っていたがそれはちょっと難しそうだ。
出来損ないだった私は、よく父に怒られ、母に怒られ、妹とはケンカばかりしていた。
かつての実家は、私にとって帰るところではなかった。
だが、いまの実家は、帰らなければいけない場所だ。
施設に入った母に会えるのは1日30分だけ。
実家に帰るのが年に2回なら、1年で1時間しか会えない。
もっと実家に帰る頻度をあげなければ。
だんだん小さくなっていくお母さんに会いに行かねば。
そんなふうに思うのだった。