今は亡き石原慎太郎さんが、小池百合子さんに向かって「大年増の厚化粧」と言ったことがあった。
ニュース等で大々的に取り上げられたのでおぼえている人も多いかもしれない。
これを耳にした多くが「なに言ってるんだ、このオヤジ」と思っただろう。
この中傷には品がない。
だが、もしかしたら、一定数の人がこの中傷を支持していたかもしれない。
というのも、年配の方をバカにしたり侮蔑したりする人が多いから。
以前、「BBA」ということばがよく使われていた。
これは「ババア」のことだが、年齢のことをバカにしたり、自分自身を自虐的に言うためによく使われいていた。
こんなふうに、日本では年をとることをネガティブに捉える人が多い。
私もまた、自分自身の年齢に対してはネガティブな感情がある。
だが、年をとることに、ネガティブになる必要はあるのだろうか。
★★★
ある日、高村光太郎の詩に出会って、年齢に対する考え方が変わった。
その詩は「あなたはだんだんきれいになる」だ。
をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生き物が
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
この詩は「智恵子抄」という詩集に収められている。
「智恵子抄」はその名の通り、妻智恵子について書いたものだ。
女性は「附属品をだんだん棄てる」ときれいになっていく。
アクセサリーも化粧も必要ない。
なぜなら、年齢を重ねていくと内面からにじみ出るような美しさがあるから。
女性の体は「年で洗はれ」ていくものなのだ。
「見えも外聞」も年齢を重ねていく女性には関係ない。
中身がどんどん磨かれていくから。
そんな女性はまさに「神の造りしもの」なのだ。
だから光太郎は智恵子のことを「あなただんだんきれいになる」と言った。
そして私もこの言葉には賛成である。
女性の美しさは年齢を重ねてこそ現れると思っている。
★★★
以前、駅のホームで若者たちが「あの女は絶対ブスだよ」とか、「好みじゃない」とか言っていた。
飲み会の帰りかなにかわからないが、酔った勢いだったようだ。
でも私から言わせてもらうと「そんなこと言ってるおまえらのほうがブ男じゃ」って感じだ。
女性を見る目がなっていない。
女性の美しさを感じるのが男性の役目なのに。
だから私は、高村光太郎のような目でありたい。
女性のことをそういうふうに見ることができる目でありたいと思う。
★★★
女性は歳を重ねるごとにきれいになっていく、私はそう思っている。
「あなただんだんきれいになる」を読むたびにその思いが強くなる。