世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波(沙弥満誓)の和歌から思ったこと

沙弥満誓という歌人が詠んだ、こんな和歌がある。

世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波

 

私はこの和歌を読んだあと、なんとなくさみしくなってしまった。

 

人生ってなんだろうとか、この世界ってなんだろうとか・・・。

 

今回、私がさみしくなった理由も含めて、この和歌について書いていきたい。

 

よろしくお願いします。

 

 

人と作品について

 

沙弥満誓について

作者は沙弥満誓奈良時代の人である。

 

もともとは笠麻呂という名だったのだが、天皇の病気がよくなることを願い出家し、満誓と名乗った。

 

万葉集歌人大伴旅人山上憶良らと交流がある。ちなみに山上憶良という人はとても有名で、

銀(しろかね)も金(くがね)も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも

という和歌を万葉集に残している。

(参考記事:銀(しろかね)も金(くがね)も玉も・・・、(万葉歌人・山上憶良):和歌の意味と思ったこと

 

和歌の解釈

世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波

 

○世の中を何にたとへむ・・・世の中を何にたとえたらいいか

○朝ぼらけ・・・夜明け

○漕ぎ行く舟の跡の白波・・・漕ぎ出した舟のあとに立った白波

 

全体の意味・・・世の中を何にたとえようか。たとえば、夜明けに漕いだ舟のあとに立った白波のようなものだろうか。

 

まず、最初は疑問文。

 

世の中ってどんなものにたとえられる?

 

そして、後半がその答え。

 

夜明けの川か湖で舟を漕ぐ。そうすると舟のあとには白波が立つ。でもその白波は、しばらく経つと消えていく。

 

世の中ってその白波のようなものですよ、っていうのが疑問に対する答えだ。

 

世の中っていうか、この世界そのものを言っているのかもしれない。

 

この世界は、白波のように、あらわれては消えていくものなのだ、そう作者は言っている。

 

そうだとすると、なんともさみしいものだ・・・。

 

 

この世の中は儚いなぁ・・・

 

白波があらわれては消える、これは儚いもののたとえだ。

 

たとえば、昔強かったチームだってずっと強いわけではない。昔若くてかっこいい人がずっと若いままではない。

 

例えが古いが、プロレスラーのアントニオ猪木だって、いまではプロレスラーとしては生きていけない。

 

月9全盛時代に活躍したキムタクや江口洋介は若かったが、いまはもうおじさんだ。

(もちろんおじさんでもかっこいいが・・・)

 

若さも強さも、ずっと続くわけではないのだ。いつかは衰えていくもの。

 

さらに、人だけではなく、国も政権もみんな変わっていく。

 

むかし日本にはバブルと呼ばれた時代があって、その頃の日本は無敵だった気がする。ところがいまの日本はどうだろう・・・。

 

世の中は儚いものだ。

 

そういえば、中学校のときに習った平家物語の冒頭

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

この世はこれだよね。

 

この世は無常で、盛者必衰なのだ。

 

あの水面に波立つ白波が、しばらく経つと消えていくように、国の栄華も、人の輝きも、だんだん消えていくのである。

 

 

この儚い人生、どうやって生きていけばいいのか・・・

 

もちろん私の人生も無常である。

 

若い頃は仕事もバリバリやったが、いまやそんな体力がない。

 

むかしは彼女がいたが、フラレてしまってからはもう彼女もできない。あの頃の若さがもうないから、できる気がしない。

 

いい状態は、続かないってわけだ。

 

そんな儚い人生、私はどうやって生きていけばいいのだろうか・・・。

 

 

結論:いまを生きる

 

この世は儚い。

 

儚いものだから衰えてしまい、やがて消える。

 

衰えているところや、消えるところを想像すると、だんだん暗い気持ちになる。

 

私の悪いところは、悲観的なところだ。悪い未来ばかり想像してしまう。

 

だが考えてみれば、どんなに考えたところで未来がどうなるかなんてわからないし、自分の力では変えることはできない。

 

衰えは止められないし、いつか絶対に死ぬことは確定している。

 

それは、どうせ変わらないんだから、いまを一生懸命生きるしかないのだ。

 

いまを楽しむしかない。いまを生きるしかない。

 

所詮、私の人生は白波のようなものだ。

 

だけど、その白波ができた瞬間を楽しめばいいのではないか。

 

世の中は白波のようなものだけど、せっかくだからいまこの瞬間を楽しもうじゃないか!