ときが経つのは早いもので、私ももういい年齢になってしまった。
人生のゴールまですでに折り返し地点を過ぎている。
残された人生を、日々大切にしていきたいものだ。
最近、季節の移り変わりも、すごく早く感じる。
春の気配を感じ、桜がもうすぐ咲くかなぁと思うと、あっという間に散ってしまう。
たくさん咲いていた花たちもいつの間にか姿を消している。
どうして、春はすぐ終わってしまうのだろうか・・・。
季節の中でも特に待ち遠しのは春。
暖かいし、お花がいっぱい咲くし、空気も気持ちいい。
春に感謝だなぁ!
★★★
ところで、私は、かつて塾の先生をしていた。
科目は国語。
全然、国語力がなく恥ずかしいのだが、「詩とか短歌が好きだったから」と、そんな理由でなんとなく先生になった。
その頃、いい詩や短歌を大勢の子どもたちに知ってもらいたいという願望があった。
塾の教材の中にはなかなかいい詩が載っている。
教えているうちに好きになった詩もたくさんあった。
そのうちのひとつが、あとで紹介する丸山薫という詩人の「まんさくの花」という詩だ。
丸山薫には、春を主題とする詩がいくつかあるんだけど、私はこの詩が一番好きだ。
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は淡黄色の粒粒した
眼にも見分けがたい花だけれど
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は点々と滴りに似た
花としもない花だけれど
山の風が鳴る疎林の奥から
寒々とした日暮れの雪をふんで
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
第一連、二連を見ると、子どもたちが、ただ「まんさくの花」を手折って持ってきただけのように見える。
だが、第三連で、この詩の背景があきらかになる。
山の風が鳴る疎林の奥から
寒々とした日暮れの雪をふんで
そこは雪国、しかも山の中。
雪国で暮らしたことのない私は想像することも難しい。
きっと思ったよりずっと過酷なんだろうなぁ。
厳しい寒さ、冷たい風、そんな環境を私は思い浮かべることができない。
ただ見渡すと雪しかないのだから、とてもシンプルな景色だと思う。
そんななか、子どもたちは、寒さに震えながら、春が来るのを今か今かと待っているのだろう。
そうして、雪深い山の林のなかを歩いていたら
「淡黄色の粒々した」
「点々と滴りに似た」
花というには、ちょっと頼りない花が咲いていた。
あたり一面雪の中に、春のきざしを発見したのだ。
とても小さなきざしではあったが。
それでも子どもたちにとっては大きな喜びだったろう。
「まんさくの花」を手折って持ってきた子どもたち
きっと満面の笑みを浮かべていただろう。
厳しく長い冬を過ごした子どもたちだからこそ、その笑顔も喜びに満ちあふれているはず。
きっと、作者は、子どもたちの輝く笑顔を見たのだろう。
子どもたちの笑顔が想像できる詩だからこそ、私は好きだ。
★★★
現代社会に生きる私たちに、このような小さな春のきざしは見逃しがちだ。
でも、私もだって、春のきざしを見つけたいと思う。
そして、春が来た喜びをみんなと分かち合いたいものだ。