北の海(中原中也)の感想

詩を読んでいれば、中原中也にハマる人もいるだろう。

わたしもまた若い頃、中原中也にハマった。

 

きっかけは高校生の頃。

国語の先生の紹介したこの詩が中原中也との出会いだ。

 

 

北の海

 

海にゐるのは、

あれは人魚ではないのです。

海にゐるのは、

あれは、浪ばかり

 

曇った北海の空の下、

浪はところどころ歯をむいて、

空を呪つてゐるのです。

いつはてるともしれない呪。

 

海にゐるのは、

あれは人魚ではないのです。

海にゐるのは、

あれは、浪ばかり。

 

 

この詩を読んだとき、鳥肌がたった。

あまりにも、悲しくなったからだ。

おまけに、底しれぬ淋しさも混じっているようにみえる。

 

わたしの中で人魚といえば、リトルマーメイド。

人間と恋に落ちて結ばれるアリエル。

とてもロマンチックだ。

 

しかし、中原中也のイメージする北の海には、人魚はいない。

あるのは「浪」ばかり。

 

ちなみに、「浪」という字は「娘」という字に似ている。

 

だから、

「海には人魚のような『娘』はいなくて、『浪』ばかりだ」

と言いたかったのか。

 

ともかく彼にとっての北の海には、ロマンの欠片もない。

 

第一連で「海にゐるのは、浪ばかり」と言い、さらに第二連で追い打ちをかける。

 

浪はところどころ歯をむいて、

空を呪ってゐるのです。

 

 

浪が空を呪っている?

なんで?

なにをそんなに呪っているの?

 

「歯を向いて」というのは、白波を牙に見立てたのだろう。

 

とすると、「浪」は自分、「空」は憎い相手なのか。それもよくわからない。

ただ、はっきり言えるのは、この詩は陰鬱だということ。

 

第三連は、ふたたび第一連の繰り返し。

まるで寄せては返す浪のよう。

まさか、永遠に繰り返す気はなかっただろうが。

 

★★★

 

こんなに暗い詩だというのに、わたしは「北の海」が好きだ。

私の内部も、もしかしたら陰鬱なのかもしれない。

あるいは、私もまた誰かを呪っているのだろうか。

 

私は、人間の根源を寂しさだと考えている。

この詩はきっと詩人の寂しさの現れなんだろう。

 

じゃなかったら、こんな想いをわざわざ言葉にして読むものに伝えなかったろう。

 

もう少し中原中也の詩に触れ、中也の気持ちの核心に近づいてみたいと思う。