「学校遠望」(丸山薫)という詩はきれいだがどこどなく悲しい詩だ

みんな学生時代の思い出って輝いているのかな?

 

この詩を読むと、そんな思いを抱いてしまう。

 

学校遠望   丸山薫

 

学校を卒(お)へて歩いてきた十幾年

首(こうべ)を回(めぐ)らせば学校は思ひ出のはるかに

小さくメダルの浮彫のようにかがやいている

そこに教室の棟々が瓦をつらねている

ポプラは風に裏返って揺れている

先生はなにごとかを話しておられ

若い顔達がいちようにそれに聴き入っている

とある窓辺で誰かがよそ見して

あのときの僕のようにぼんやりこちらを眺めている

彼の瞳に 僕のいる所は映らないのだろうか!

ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに

 

 (一部読みやすいように変えています)

 

これは丸山薫という詩人が書いた詩で、学校を卒業して十数年後に、過去を振り返ってみた詩である。

 

今日はこの詩について私が何を思ったか、書いてみたい。

 

 

「学校遠望」を読んでみる

 

「学校遠望」とは学校を遠くから望むという意味で、この場合の「遠い」は距離ではなく時間のこと。

 

青春時代を振り返るみたいな感じだね。

 

まずは冒頭

学校を卒へて歩いてきた十幾年

首を回らせば学校は思ひ出のはるかに

小さくメダルの浮彫のようにかがやいている

 

学校を卒業して十数年

振り返れば、学校ははるか思い出になり

小さくメダルの浮彫のように輝いているとのこと。

 

作者の中の学校の思い出は、輝いているんだね!

 

そこに教室の棟々が瓦をつらねている

ポプラは風に裏返って揺れている

先生はなにごとかを話しておられ

若い顔達がいちようにそれに聴き入っている

 

次に、ここは作者の思い出の中の学校だ。

 

教室があり、ポプラの木がある学校の風景。

その教室の中では、生徒たちが先生の話に聴き入っている。

 

授業中なんだね!

 

そして

とある窓辺で誰かがよそ見して

あのときの僕のようにぼんやりこちらを眺めている

 

 

みんな一生懸命授業を受けているのだが、

その中の一人がよそ見して、ぼんやりとこちらを眺めている・・・

 

こちら!??

 

この詩は作者が自分の過去を振り返ったものだ。

そして、おそらくこちらを眺めているのは過去の自分。

 

過去の自分が未来を眺めているわけだ。

 

いったいどんなふうに見えているんだろう・・・

 

彼の瞳に 僕のいる所は映らないのだろうか!

ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに

 

「僕のいる所」は彼(過去の自分)からしたら未来だ。

だから、当然、彼の瞳には「僕のいる所」は映らない。

 

そして、作者はこう嘆く。

「ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに」

と。

 

未来のことはわからないが、過去は悲しいくらいにはっきりと見えてしまう。

 

そんな嘆きが聞こえてきそうな詩である。

 

いったい作者はどんな気持ちだったんだろうか。。。

 

それは書いた本人にしかわからないのかもしれないが、すくなくとも「ああ」というのが嘆きのように聞こえてしまう。

 

少し悲しげな感じのするラストだ。

 

 

私の「学校遠望」

 

唐突だけど、自分自身も過去を振り返ってみる。

 

私は、高校生の頃、国語の先生になりたかった。

 

高校3年生のときに教わった国語の先生のことを尊敬していて、あんな先生になりたいなぁと思ったのだ。

 

一生懸命勉強し、大学で日本文学を学ぶことになった。しかし、意志の弱い私は大学をサボり続けた。いくつも単位を落とし、先生になるどころか進級すら危ぶまれたのだ。

 

なんとか、一般教養過程の単位をとり、専門課程を学ぶことになる。

 

そこで、私はもう一度目覚めた。大学3年生で学んだ「万葉集」にハマってしまったのだ。

 

これがオレの生きる道だ!!!

 

そう思った私は、今度は大学院に進学し、将来は大学教授の道を進もうと決意した。

 

合格率がそんなに高くなかった中、その中の一人に選抜された私は少し自信を持って大学院に入学することになったのだった。

 

進学してからの私は、一心不乱に研究に励むことになる。

 

あの頃の私は、一生文学に身を捧げる気でいた。

 

大学の研究室と図書館を何度も往復した日もあった。

 

研究室に朝から晩まで閉じこもり、調べ物で気が狂いそうになった日もあった。

 

図書館の書庫からいろいろ資料をあさり、あれでもないこれでもないと一生懸命書物を探した日もあった。

 

 

そしてたびたび、私は、将来大学で教鞭をとっているところを想像していた。

 

私は、「学校遠望」に出てくる「彼」のように、ぼんやりと未来を眺めていたのだ・・・。

 

しかし、どうだろう。今の私は、文学とは程遠い仕事をしている。

 

書物のなかで暮らすかのように本の中に埋没し、日夜研究に明け暮れ、「将来は大学で教えるんだ」と思っていたあの頃、私はまちがいなく輝いていた。

 

しかし、そうはならないことを、今の私は知っている。

 

ああ、こんなにもあの頃のことははっきり見えるのに、

あの頃は、未来の私がこうなるなんて夢にも思わなかったのだ。

 

夢見た青年の現実が、今の私だ。

 

なんとも悲しい現実だなぁ・・・。

 

これが私の学校遠望だ。

 

 

もう一度、詩を振り返ってみて

 

ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに

 

という嘆き、それは、

 

未来は見えないが、過去ははっきりと見えてしまう

 

という悲しさだったようだ。

 

そう考えると、作者、丸山薫の学校遠望は、どこか悲しいものがある。

 

ただ、なんとなく、自分に通じるものがあるから、私も好きなのかもしれない。

 

 

(10)丸山 薫・三好達治 (日本語を味わう名詩入門)

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