日本最古の和歌集「万葉集」には恋の歌がたくさんある。
好きな和歌はいくつもあるが、これはなかなかよい。
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
初めてこの和歌を知ったのは、大学の授業だった。
先生が新聞紙を広げて、広告欄にこの和歌が載っているというのだ。
あのときの先生の「どうだ、いいだろう!?」と言って、満足気な表情をしていたのが今でも脳裏に焼きついている。
★★★
「万葉集」は全20巻で、約4500首もの和歌が収められている。
冒頭の「君が行く・・・」の和歌はその15巻目。
第15巻の前半は、遣新羅使たちの作品が中心だ。
遣新羅使というのはあまり聞き慣れないが、遣唐使とか遣隋使とかの新羅バージョンで、奈良時代あたりには新羅(古代朝鮮半島東部の国)にも人が派遣されていたらしい。
新羅には船で行く。
この頃の船旅を予想するに、今よりも困難だったにちがいない。
船のつくりは今ほど丈夫ではないだろうし、航海図も正確かどうかあやしい。
なにより、外国に行くわけだから命がけだと思う。
遣新羅使に任命されたらある程度の覚悟が必要で、家族は心配したにちがいない。
「君が行く・・・」の歌は、その遣新羅使の妻が詠んだ歌だ。
大切な人が危険な旅路を行く。心配でたまらないはずだ。
さて、もう一度歌を見てみよう。
君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
歌の意味は、だいたいこんな意味だと思う。
あなたが行く海辺の宿にもし霧がかかったら、それは、あなたのことを思い嘆いている私の吐息(ため息)だと思ってください
霧を吐息にたとえているところがすばらしい。
こんなこと言われて、霧がかかっているところを見たら恋人のことを思わずにいられなくなる。
★★★
私がこの和歌を先生に教えてもらって何十年も経つ。
たしか、大学一年生のときの授業で聞いた和歌だ。
だが、いまだにこの和歌のことを忘れられないでいるのは、私にとってインパクトの強い和歌だったということだろう。
やはり、「海辺に立ち込める霧を私の吐息だと思ってください」という部分が秀逸だ。
こんなことはなかなか言えないから。
遣新羅使の妻はおそらく都にいる。
そして、旅先にいる夫に対して「あなたへの思いはそこまで届くほどよ」という気持ちが込められているいるのだろう。
一言でいえば「あなたが恋しい」ということだろうが、それをこんなにすばらしい比喩をつかって表現するあたりが見事だ。
私がこの歌を好きな理由はこんなところである。
★★★
しかし、こんなにすばらしい恋の歌もたくさんある。
そして、万葉集を読んでいると、人が人に恋をするという行為は今も昔も同じだと実感する。
万葉集の魅力は本当に尽きない。